2020年01月03日

「杜の宮市は」は、なぜ「杜の宮市」という名前なのか…第20回杜の宮市

 2020年5月5日開催の第20回杜の宮市は、1月8日まで出展希望者の募集をしています。
 http://miyaichi.net

「もりのみやいち」という名前の由来を時に尋ねられます。


三八市の復興
 杜の宮市は2001年初に新聞公募で集まった人で結成された「杜の宮市準備委員会」がスタートさせました。その新聞公募の内容は、文化的な「三八市」(さんぱちいち)の復興を目指して集まりましょうというものでした。
 一宮のまち、中心商店街は、尾張国一宮 真清田神社(おわりのくにいちのみや ますだじんじゃ)の門前市として、3と8がつく日に開催されていた「三八市」が、その興りです。市がだんだん固定化し、門前町としての現「本町商店街」が形成されていきました。三八市は戦後はマーケットとして、今の「宮前三八市広場」のあたりに勃興しましたが、やがて消えていきます。真清田神社には「三八稲荷」があります。

 杜の宮市は、この「三八市」を文化的に復興しようとしてスタートしました。まちの再興、活性化のシンボルを「三八市」に求めていたのです。


松井隆禰宜
 その頃、真清田神社の禰宜(宮司に次ぐ立場)に、松井隆さんが就任されました。大蔵官僚としてエリート中のエリート街道を進む中、突如ご自身で神職となり、護国神社にいらしたところを飯田宮司が口説き落として真清田神社の禰宜として迎えました。
 後には私たちの守護者ともなり、やがて早逝する松井さんですが、第1回の準備がスタートしてすぐの2月に

「三八市は真清田神社のものだから、勝手に名前を使わせない」

と私たちに言い切りました。何だかよく分からない輩たちに使わせるのはどうかという感じも今は分かりますし、松井さん自身もやがては神社としてその名前を活用しようという考えがあったようです。

 私たちは意気消沈しました。「三八市」というシンボルに集まったのに。その名前でいいという神社の話だったのに。


モリノミヤイチ
 そんな沈鬱な会議の中、現在の杜の宮市準備委員会会長の森さんが言いました。
 「ミヤイチはどうだろう・・・」
 ???
 「三八市…サン・パチ・イチを読み替えて、ミ・ヤ・イチ、漢字で宮市」
 さらに
 「これに神社の社叢林の意味をこめて杜(もり)の字を載せるのは」

 こうして生まれたのが「杜の宮市」という名称です。

 「三八市」から「杜の宮市」への変更は、単に名前の変更だけではありませんでした。それまで「三八市」という大きな看板を背負う中、様々な人の「三八市」に対する想いや夢、欲やしがらみにとらわれてきたのが、オリジナルな新しいネーミングにすることで解き放たれました。
 新しいまつりを作ろう、新しい文化発信をこのまちからしていこう、私たち文化を大切に思う市民で一から作りだしていこう。
 今の杜の宮市に繋がる、そのありよう、思想性が明確になりました。

 今でも「宮の森市」とか「ヤシロの市」とか言われてしまいますし、愛情込めて「モリミヤ」とも呼ばれていますが、こんな経緯があって名前が決まりました。2001年2月のことです。


 そうして私たちは、誰も知らない、何かも分からない「杜の宮市」を立ち上げていったのでした。


 ちなみに当時、準備委員会のメンバーで呉服屋さんの今井英夫さんが「そんなの別に当たり前だがね」と言って、自分の車に杜の宮市のポスターを直張りして走り始めました。杜の宮市準備委員会のメンバーの多くも真似をして、ポスターを貼った車や自転車を走らせていました。


 写真は、第1回杜の宮市のポスターを数枚貼った私(星野博)の当時の愛車と、真清田神社本殿正面のようす。

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posted by 星野博 at 10:07| 杜の宮市とは